和中裕輔(和歌山南陵バスケ部監督) の洛南高校出身の経歴や所属高校についてまとめてみた【激レアさんを連れてきた】

ふと「激レアさんを連れてきた。」の予告を見ると、部員六人で全国大会に出たバスケ部の方々の出演が予告されていました。

強豪バスケ部だったのに高校が潰れかけて部員がたったの6人に激減!

その逆境に打ち勝ち全国大会に出場した監督と生徒

引用元: https://www.tv-asahi.co.jp/geki_rare

これ、どこかのニュースで見たなと思い調べてみたら、

和歌山南陵高等学校のバスケ部のことだとわかりました

当記事では監督である和中裕輔さんについて書いていこうと思います。

和中裕輔さんの洛南出身の経歴について

たった6人のバスケ部を全国大会出場にまで導いた和歌山南陵高等学校バスケ部監督は和中裕輔さんという方が務められています。

一体どのような人物なのでしょうか?

経歴を調べてみました。

引用元: https://w-nanryo.ed.jp/img/sites/w-nanryo/bukatudousyoukai/basukettobo-rubuhp.pdf

(こちらの写真の方が和中裕輔さんです)

和中裕輔さんは、1994年生まれで和歌山県和歌山市出身です。

学生時代はバスケをしており、高校はバスケの強豪校として有名な洛南高等学校に進学し、そこの男子バスケットボール部に所属していました。

高校卒業後は天理大学に進学し、そこでもバスケットボールを続けていたそうです。

天理大を卒業後は和歌山南稜高校に体育教師として就職されています

そして、2020年和歌山南陵高等学校にバスケ部が創設されます。

創設のタイミングで教員だった和中裕輔さんがコーチに就任しました

メキメキを実力をつけ、2年目の2021年夏には初のインターハイ出場に導きました。

しかし、ここから苦難の連続でした。

2022年5月、学校が経営難になり、教職員に給与を支払えず、ストライキが発生します。

ここから選手の転校が相次ぎ、年度末には6人になってしまいました。

先生側も同僚が辞めたりする中「やりたいから」という理由で学校に残りバスケの指導に務めます。

「子どもたちがいる以上、ここでやると決めていました。子どもたちには『給料がもらえなくても、最後まで見るから』と約束していました。それは別に無理をしているからではなくて、自分のやりたいことだったから。高校生にバスケを教えて、全国で勝つチームをつくる。それが人生の目標であり、夢でしたから。みなさんから『大変ですね』と言われるんですけど、私自身は苦と感じていないんです」

引用元: https://news.ameba.jp/entry/20240807-56181196

生徒や同僚の教師がどんどん辞め給料が出るかどうかもわからない状況の中、

バスケを教えて全国で勝つ夢のために教師を続ける選択は簡単にはできないですよね。

よほど強い思いを持っていたことがわかります。

6名と少ないながらも大会で勝ち進み、

2023年夏にはインターハイ予選の県大会で優勝。

さらに近畿大会では県勢19年ぶりの4強入りを果たしました。

2024年夏も6人の部員でインターハイ出場を果たし、

1回戦で強豪の延岡学園高校を破る快挙を達成!

快進撃を続ける和中裕輔さんと和歌山南陵高等学校バスケ部はこれからも要注目です。

和中裕輔さんの所属高校について

もう何度も書いていますが、和中裕輔さんの所属高校は和歌山南陵高等学校です。

和中裕輔さんは天理大を卒業後に体育教師として赴任され、2020年からはバスケ部のコーチ、監督も務められています。

かつては元プロ野球選手の岡本哲司氏が野球部監督を務めていた野球部だけで100人の生徒が在籍していました。

しかし、前述した経営難やそれによるストライキで転校が相次ぎ現在の生徒数は18名です。

ただ最近は、バスケ部の活躍やレゲエ風の校歌などで話題になり、入学や転校を希望する人も増えてきているのだそうです。

せっかく魅力のある高校なので、うまく経営難を脱して生徒が増えていくと良いですね。

まとめ

  • 和中裕輔さんはバスケの強豪校として有名な洛南高等学校の男子バスケットボール部に所属し、大学は天理大学に進学した。
  • 卒業後は和歌山南陵高等学校の体育教師として就職、2020年にバスケ部のコーチになった。
  • 2022年になると、経営難やストライキの影響で生徒数が激減。バスケ部も6名になってしまったが、和中裕輔さんの指導によってインターハイに出場にするまでの強豪校に成長した。

おすすめの記事